太陽と月を用いる理由

 

 聖書に従いたいと願う人にとって、どの日が安息日であるのか?そして、いつから数え始めるのか?またそれがどのように真の安息日であると知ることができるのか?

この問題は重要な問題である。

 

これまで暦の歴史と種類をまとめてきたが、これからは聖書の記述に焦点をあてていくこととする。

 

創世記1:14-18

1:14 ついで神(ヤフワ)は、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。

1:15 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」と仰せられた。するとそのようになった。

1:16 それで神は二つの大きな光る物を造られた大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。

1:17 神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、

1:18 また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神は見て、それをよしとされた。

 

まず初めに、ヤフワ様は、時間を計測する為に、太陽と月の軌道をデザインした。

ここで創世記1:14について、英語で詳しく見ていくと以下のようになる。

 

 日本語の解釈では、しるしや季節、日や年というのはすべて太陽が役割を果たしているように見えるが、英語では「let them」となっており、太陽と月の両方を用いて、しるし、季節、日、年のため役立てと述べていることが分かる。

つまりここからも、太陰太陽暦の必要性を述べることができる聖句箇所である。

 

(詳しくは次のページ④聖書からの証明参照)

新月の祭り、安息日とは?

 

イザヤ66:22-23 

66:22 「わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、――主の御告げ。――あなたがたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続く。

66:23 毎月の新月の祭りに、毎週の安息日に、すべての人が、わたしの前に礼拝に来る。」と主は仰せられる。

 

エゼキエル45:17

君主は、祭りの日新月の祭り安息日、すなわちイスラエルの家のあらゆる例祭に、全焼のいけにえ、穀物のささげ物、注ぎのぶどう酒を供える義務がある。彼はイスラエルの家の贖いのため、罪のためのいけにえ、穀物のささげ物、全焼のいけにえ、和解のいけにえをささげなければならない。

 

コロサイ2:16

こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭り新月安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。

 

 現代のグレゴリオ暦(太陽暦)を使用しているクリスチャンには、新月の祭りというのはあまりなじみのない単語である。なぜなら太陰暦や太陰太陽暦を使用しなければ新月の日というのは存在しないからである。

 

さて、旧約聖書や新約聖書でたびたび記載されている新月の祭りとはいったい何のことを指しているのだろうか?では聖書を中心として新月の祭りとはどのような日か調べていきたいと思う。

(祭りについては「7つの祭り」参照)

 

~以下新月の祭り、安息日の説明~

 

 

 

 ヤフワ様はこの世界を想像された時、ご自身で作られたすべての生き物を知っておられ、人間には、時間を区切って働くことと休むことが必要であることも知っておられた。

 

一番短い区切りであると、一日というのは、光が当たっている昼と暗闇の部分である夜に分けられた。その次の区切りというのは、月の満ち欠けである。その次は、季節である春夏秋冬である。

 

これらの区切りというのは人間の手には届かない領域で、天の万象をヤフワ様が支配し、コントロールされる領域である。

 

創世記1:14-15

1:14 ついで神は、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て

1:15 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」と仰せられた。するとそのようになった。

 

どの月であっても、四つの安息日によって構成されている。

六日間は働き、七日目は全き安息の日である。

 

出20:8-11

20:8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ

20:9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。

20:10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。――

20:11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。

 

 

聖書暦(太陰太陽暦)というのは四つの安息日からひと月が出来上がっている。

この安息の日というのは、ヤフワ様の子供たちが共に集まり、ヤフワ様を賛美してヤフワ様に対して忠誠を示す日である。

 

安息日というのは月の満ち欠けに従うもので、それはどこからどこまでというように明確には定められていない。

 

また安息日というのは、人の心の中にあるものにより、従うか従わないか機会を与えられている。ヤフワ様を心から愛し、慕い求める人は七日目の安息日にヤフワ様を礼拝する。

 

ひと月というのは四つの安息日と調整日のための30日によって成り立っている。

太陰太陽歴の七日目の安息日に礼拝することは、それはヤフワ様への忠誠心のしるしである。

 

またヤフワ様への奉仕や従順を学ぶ機会でもある。

霊的な意味では、純粋で透き通ったヤフワ様との個人的な交わりの時間である。

また、自分の肉が思っていることとは対照的に、ヤフワ様の聖さや麗しさというのは罪びとに罪を告白させるものである。

 

イザヤ6:5

そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主(ヤフワ)である王を、この目で見たのだから。」

 

それぞれの月の安息日に付け加えられている新月の祭りというのは、自分の信仰がどこに向いているかを最初の礼拝の日に確かめ、そして次の礼拝の日までにどうすべきかを決意する日である。

 

新月の祭りはそれぞれの月の最初に存在する。

 

それゆえ、週の最初は月の2日目から始まる。

新月の日というのは、自分で自分の霊の状態がどのようなものであるかを探る日である。

 

新月の祭りは毎月新しい心で月を迎えるための悔い改めの時である。

ヤフワ様は人間の思いを知っておられるので、毎月悔い改めの時を定められた。

 

つまり、ヤフシュア様の十字架の血潮により全きものとなり、ヤフシュア様の光を放ってくものとなる様をなぞらえ、月が太陽の光を反射することによって満月になっていくという過程の最初に、新月の日を定められた。

 

現在のグレゴリオ暦やユリウス暦、またそれ以前の聖書暦以外の暦では、新月の日というのは全く存在しない。そのため現在では認知されてすらいないのが現状である。

 

 

新月の日、また安息日というのは元々は月の満ち欠けによって、決定されていた。本来、新月の日というのは、安息日と同じように祝われるべき日である。

しかし、安息日が、宗教的にも人間的にも、より取り扱われていくにつれて、すたれてしまった。

 

新月祭はすべてのことに感謝する日でもある。昔は、ヤフワ様の例祭と同じように取り扱われていた。安息日には働いてはならないといわれたが、新月の日にはヤフワ様のために料理し、ヤフワ様のために働き、皆で楽しむ日でもあった

 

仮庵の祭りの時に、モーセはイスラエルの人にこう言った。

 

出40:17-19

40:17 第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた。

40:18 モーセは、幕屋を建てるとき、台座を据え、その板を立て、その横木を通し、その柱を立て、

40:19 幕屋の上に天幕を広げ、その上に天幕のおおいを掛けた。主がモーセに命じられたとおりである。

 

太陰太陽暦では新月の日は、毎月の1日に当たる。出エジプト40:17-19を見てみると、安息日とは異なり、ヤフワ様に対する仕事は許されていたことが分かる。

 

また、新月の日には商売は行われなかった。そののちヤフワ様に対する感謝の心がなくなり、ヤフワ様に反抗するようになったイスラエル人は、安息日や新月の日が来ることによって商売をする機会が少なくなっていることに不満を抱いた。

 

アモス8:5-6

8:5 あなたがたは言っている。「新月の祭りはいつ終わるのか。私たちは穀物を売りたいのだが。安息日はいつ終わるのか。麦を売りに出したいのだが。エパを小さくし、シェケルを重くし、欺きのはかりで欺こう。

8:6 弱い者を銀で買い、貧しい者を一足のくつで買い取り、くず麦を売るために。」

 

そのような驕りや高ぶりは、ヤフワ様に対しても届いていた。

 

新月や安息日というのは聖なる会合の日であるが、イスラエル人はこれを心から守ることをせず、次第にイスラエルの民の心に高ぶりが生じた。そのため、ヤフワ様は以下のように宣言された。

 

アモス8:7-8

8:7 主(ヤフワ)はヤコブの誇りにかけて誓われる。「わたしは、彼らのしていることをみな、いつまでも、決して忘れない。

8:8 このために地は震えないだろうか。地に住むすべての者は泣き悲しまないだろうか。地のすべてのものはナイル川のようにわき上がり、エジプト川のように、みなぎっては、また沈まないだろうか。

 

ヤフワ様は、恵みにより見守っておられたが、イスラエル人のヤフワ様に対する不従順というのはすさまじかった

 

イスラエルの人々は、ヤフワ様に拝むことをせず、安息日や新月の日に霊的に何の価値もないもの偶像を拝むようになっていった。

 

そのため、ヤフワ様はイスラエルの民の礼拝を拒否された。

 

アモス5:21-23

5:21 わたし(ヤフワ)はあなたがたの祭りを憎み、退けるあなたがたのきよめの集会のときのかおりも、わたしは、かぎたくない。

5:22 たとい、あなたがたが全焼のいけにえや、穀物のささげ物をわたしにささげても、わたしはこれらを喜ばない。あなたがたの肥えた家畜の和解のいけにえにも、目もくれない。

5:23 あなたがたの歌の騒ぎを、わたしから遠ざけよ。わたしはあなたがたの琴の音を聞きたくない。

 

イスラエルの民はヤフワ様を礼拝すべき聖なる日に、サタンを崇拝し始めていたのである。

 

アモス5:25-27

5:25 「イスラエルの家よ。あなたがたは、荒野にいた四十年の間に、ほふられた獣とささげ物とをわたしにささげたことがあったか。

5:26 あなたがたはあなたがたの王サクテと、あなたがたのために造った星の神、キウンの像をかついでいた。

5:27 わたしはあなたがたを、ダマスコのかなたへ捕え移す。」とその名を万軍の神、主という方が仰せられる。

 

キウンというのはまたの名をサタンという。

古代イスラエル人から現代のイスラエル人にかけて、新月の日を拒んだばかりか、あってはならない偶像を拝み、サタンを崇拝し始めたのである。

 

ヤフワ様の偉大さは天の万象やその被造物が表している。そのため、ヤフワ様は被造物である天の万象を拝んではならないと命じられた。

 

この「キウン」を礼拝するという箇所は、旧約聖書の物語ではなく、現代を見ても当てはまるのが分かる。それは無知のゆえに、太陽の日として太陽をあがめる日曜日、またサタンの日である土曜日を聖なる日として礼拝しているからである。

 

このように昔のイスラエル人のみならず、現代にいたるまでにサタンに栄光を帰すことを繰り返してきているのである。

 

アモス6:1,3,7-8

6:1 ああ。シオンで安らかに住んでいる者、サマリヤの山に信頼している者、イスラエルの家が行って仕える国々の最高の首長たち。

6:3 あなたがたは、わざわいの日を押しのけている、と思っているが、暴虐の時代を近づけている。

6:7 それゆえ、今、彼らは、最初の捕われ人として引いて行かれる。身を伸ばしている者どもの宴会は取り除かれる。

6:8 神である主は、ご自分にかけて誓われる。――万軍の神、主の御告げ。――わたしはヤコブの誇りを忌みきらい、その宮殿を憎む。わたしはこの町と、その中のすべての者を引き渡す。

 

ホセア2:6-13

2:6 それゆえ、わたし(ヤフワ)は、いばらで彼女の道に垣を立て、彼女が通い路を見いださないように、石垣を立てよう。

2:7 彼女は恋人たちのあとを追って行こう。しかし、彼らに追いつくことはない。彼らを捜し求めよう。しかし、見つけ出すことはない。彼女は言う。『私は行って、初めの夫に戻ろう。あの時は、今よりも私はしあわせだったから。』

2:8 彼女に穀物と新しいぶどう酒と油とを与えた者、また、バアルのために使った銀と金とを多く与えた者が、わたし(ヤフワ)であるのを、彼女は知らなかった。

2:9 それゆえ、わたし(ヤフワ)は、その時になって、わたし(ヤフワ)の穀物を、その季節になって、わたし(ヤフワ)の新しいぶどう酒を取り戻し、また、彼女の裸をおおうためのわたしの羊毛と麻とをはぎ取ろう。

2:10 今、わたし(ヤフワ)は彼女の恥を、恋人たちの目の前にあばく。だれも彼女をわたし(ヤフワ)の手から救い出せる者はない。

2:11 わたし(ヤフワ)は彼女のすべての喜び、祭り、新月の祭り、安息日、すべての例祭を、やめさせる。

2:12 それから、わたしは彼女が『これは私の恋人たちが払ってくれた報酬。』と言っていた彼女のぶどうの木と、いちじくの木とを荒れすたらせ、これを林にして、野の獣にこれを食べさせる。

2:13 わたし(ヤフワ)は、彼女がバアルに香をたき、耳輪や飾りを身につけて、恋人たちを慕って行き、わたし(ヤフワ)を忘れてバアルに仕えた日々に報いる。――主の御告げ。――

 

さて、現在の暦のすりかえ、安息日のすり替え、新月祭の廃止というのはただサタンの策略によって陥ったものだろうか?

 

ホセア書では、我々の不従順の故、また我々の不道徳のゆえ、イスラエルの民が天の父なるヤフワ様を愛すことをせず、心が揺れ動き、偶像礼拝に走る様子をご覧になり、心を痛められ、泣く泣く廃止されたものに他ならないということが分かる。

 

この不従順という罪をサタンがとらえ、ヤフワ様が語られた新月の日や安息日を我々が完全に無視し、盲目的に歩んだゆえに、ヤフワ様への礼拝をサタンに奪い去られてしまったのである。

 

このヤフワ様の嘆きは、私たちの不信仰に対するものであった。

そのため、ヤフシュア様が十字架でかかられたのち、使徒パウロは聖書でこう警告している。

 

へブル4:1-11

4:1 こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれにはいれないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。

4:2 福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。

4:3 信じた私たちは安息にはいるのです。「わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息にはいらせない。」と神が言われたとおりです。みわざは創世の初めから、もう終わっているのです

4:4 というのは、神は七日目について、ある個所で、「そして、神は、すべてのみわざを終えて七日目に休まれた。」と言われました。

4:5 そして、ここでは、「決して彼らをわたしの安息にはいらせない。」と言われたのです。

4:6 こういうわけで、その安息にはいる人々がまだ残っており、前に福音を説き聞かされた人々は、不従順のゆえにはいれなかったのですから、

4:7 神は再びある日を「きょう。」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを通して、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」と語られたのです。

4:8 もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであったら、神はそのあとで別の日のことを話されることはなかったでしょう。

4:9 したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです

4:10 神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。

4:11 ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。

 

安息日にヤフワ様をほめたたえるということは、ヤフワ様の聖なる民としての証印である。ヤフワ様は安息日を守るものを聖別される。

 

エゼ20:12

20:12 わたしはまた、彼らにわたしの安息日を与えてわたしと彼らとの間のしるしとし、わたしが彼らを聖別する主であることを彼らが知るようにした

 

ヤフワ様に新月の日や安息日に礼拝するということは、他では決して味わえない霊の安息を得て、生ける喜びの水が心から湧き出てくることである。

 

しかしある人はこういう。

新月の祭りや太陰太陽暦は十字架によって廃止された」と。

先ほど歴史で振り返ってきたように、廃止されたのは人の手によってである。

 

ではなぜイザヤは聖書で千年王国で新月の祭りが、また安息日がいつまでも続くといわれたのだろうか?

 

イザヤ66:22-23

66:22 「わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、――主の御告げ。――あなたがたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続く。

66:23 毎月の新月の祭りに、毎週の安息日に、すべての人が、わたしの前に礼拝に来る。」と主は仰せられる。

 

つまり、ヤフワ様に従う人にとっては新月の祭り安息日はサタンから取り戻さないといけない重要な日なのである。

 

また、ヤフワ様は栄光の回復に関して、新月や安息日も含めてこのような力強い預言をされた。

 

 

イザヤ61:4

彼らは昔の廃墟を建て直し、先の荒れ跡を復興し、廃墟の町々、代々の荒れ跡を一新する

 

 

エレミヤ33:6-12

33:6 見よ。わたしはこの町の傷をいやして直し、彼らをいやして彼らに平安と真実を豊かに示す。

33:7 わたしはユダの捕われ人と、イスラエルの捕われ人を帰し、初めのように彼らを建て直す。

33:8 わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしにそむいたすべての咎を赦す

33:9 この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。彼らはわたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの町に与えるすべての祝福と平安のために、恐れおののこう。」

33:10 主はこう仰せられる。「あなたがたが、『人間も家畜もいなくて廃墟となった。』と言っているこの所、人間も住民も家畜もいなくて荒れすたれたユダの町々とエルサレムのちまたで、

33:11 楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、『万軍の主に感謝せよ。主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで。』と言って、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が再び聞こえる。それは、わたしがこの国の捕われ人を帰らせ、初めのようにするからである。」と主は仰せられる。

33:12 万軍の主はこう仰せられる。「人間も家畜もいなくて廃墟となったこの所と、そのすべての町々に、再び、群れを伏させる牧者たちの住まいができる。

 

今こそ真のヤフワ様の聖書に準拠した安息日、新月の祭り、例祭を取り戻すときです!

ハレルヤ‼

 

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